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◆◆◆黒田如水&長政 KURODA Zsoszuj s Nagamasza
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黒田如水(くろだじょすい)
(こちらより引用)
黒い怖い(くろい!こわい!)
(画像掲示板より引用)
「2ch.戦国板」◆(2006/07/28〜) 【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】
レス回収済
「2ch. なんでも実況板」◆(2013/12/29〜) 大河ドラマ黒田官兵衛楽しみなやつwwwwwwwwwwwwwww
回収すべきレスなし
「D.B.E 三二型」(2013/05/12)◆官兵衛が賤ヶ岳の前線に…秀吉サイン指令書発見
『黒田官兵衛: 智謀の戦国軍師』(小和田哲男著,平凡社新書,2013/11/19)
まぁ悪くないよ.
買って損したって事はないと思う.
そもそも如水本自体が珍しいし.
それに最近そのシリーズは3000円が多いから,ひそかに値上げでもしてるのかも知れんし.
他出版会社なら2000円〜2200円くらいで,内容が濃いのはけっこうあるからね.
-----------戦国板,2012/01/01(日)
『黒田官兵衛・長政の野望 もう一つの関ヶ原』(渡邊大門,角川学芸出版,2013/08/24)
『黒田如水伝』(金子堅太郎著, 博文館,1916)
「左手」は後世の創作だけど,むしろ史実以上に,うまく人物像を表現してるのがすごい.
さずがは金子堅太郎という感じ.
-----------戦国板,2012/01/06(金)
『黒田長政 関ヶ原で家康に勝利をもたらした勇将』(近衛龍春著,PHP文庫,2008/6/2)
秀吉子飼いにいじめられる人質生活から始まり,戦でも前線に出してもらえず,刑事のように聞き込みして落武者を捕まえて,やっと手柄を立て,それでも親子そろって薄給,又兵衛は言うことを聞かない,朝鮮戦争は疲れただけ,関ケ原も嫌っていたはずの謀略ずくし.
基本的に長政は人の心読んで,「こいつらマジ馬鹿乙」と思っているが,肝心の如水の心は読めない.
謀略では親父に勝てないので,武功立てようとすると,必ず如水はけなしてくるし,他の武将は親父譲りの謀略乙としか誉めてくれない.
たまに如水が誉めても,「皮肉ってるんじゃねえの?」と,素直に受け止めない.
爽快感ゼロ,読後ビミョーな気分に浸れるぜ!
表紙の長政は渡辺謙に似ていてかっこいいけど,騙されるな!
俺は長政好きだから面白いとか思っちゃったけど,一般人にはオススメできない.
------------戦国板,2008/06/12
『軍師の門』(火坂雅志著,角川文庫,2011/12/22)
この小説で一番いいところは,タイトル.
その次が,野心家で黒い竹中半兵衛.
官兵衛はむしろ白い設定.
黒田家譜ベースで,官兵衛はかなりまとも.
登場人物が,自分の考えや感情を,全部自分で喋って読者に説明するがな.
ついでに自分の歴史的評価までする.
上巻は,むしろ半兵衛無双ストーリーなので,官兵衛の小説というより,主人公が二人になっている感はある.
官兵衛の小説って,大体播磨時代で終わる印象があるんだが,本書では中国大返し以降も,基本的に飛ばさず最後までやる.
下巻の大部分が播磨以降だから,頁数をかなり割いている.
その点では珍しい.
小説としては,なんとなく中二病な描写が多いけど,そこそこ面白い.
火坂にしては頑張った方だ.
ただ,大河用に書いてる感じだよな.
原作に選ばれなくとも,関連本として売れて,ついでに公演で稼げればいいという感じで.
それより火坂は,誰が主人公でも,みんな「義」の人になるのをどうにかしろ.
しかし,大河化に結びつけば功績だし,火坂以外にも「二人の軍師」原作とか,良い小説が出つつあるし.
------------戦国板,2012/02/21(火)〜02/24(金)
青文字:加筆改修部分
『白痴・二流の人 改版』(坂口安吾著,角川文庫,1970/2/28)
「二流の人」が黒田官兵衛の話.
小説としては,さすがに坂口安吾だけあって,面白い.
秀吉,家康>>(越えられない一流の壁)>>孝高
別枠(芸術家枠):石田,直江
疑いなく一流の天下人:秀吉,家康
勝ち負け度外視で,一流(家康)に挑む美しい敗者(二流):石田,直江
勝てる賭けしかしなかった才能ある賭博師(二流):孝高
という感じ.
これはこれで,非常に魅力的な人物像ではある.
-----------戦国板,2012/01/19(木)
『播磨灘物語 新装版』(司馬遼太郎著,講談社文庫,2004/1/16)
小説としてまとまりがなさすぎるのが難だと思う.
祖父・父の話が長すぎ,和田や細川が無意味に出張りすぎ,中国大返し以降は,関ヶ原までいきなりワープする急ぎよう.
祖父&父の話を削って,関ヶ原の九州攻めの話に当てて欲しかったと思う.
司馬遼の売れてる時期で,他に並行して何本も連載抱えてる頃だし,あんまり構成とか練って書いた作品ではない.
ただ,祖父から遡って書かれることで,官兵衛がどういう背景で育ったのか,が分かった部分もあるなぁ.
個人的に播磨灘物語は,初心者向けだと思う.
官兵衛の周辺の豪族の状況説明があるし,話の時系列が素直に過去→未来へ進行するから,初心者の自分は分かり易かった.
-----------戦国板,2012/01/07(土)
【質問】
黒田官兵衛って誰?
【回答】
黒田官兵衛こと黒田孝高(よしたか)は,戦国時代から江戸時代前期にかけての戦国武将.[1]
出家後の号「如水軒」からとって,「黒田如水」とも呼ばれる.[1]
豊臣秀吉の側近として,調略や他大名との交渉などに従事.[1]
彼の長男が黒田長政である.[1]
ただし,歴史学者の渡邊大門によれば,後世に伝わる黒田官兵衛の逸話の殆どは創作であり,それどころか,そもそも軍師ですらなく,戦国大名間の交渉を担う「取次(とりつぎ)」や,軍勢を監督する「軍(いくさ)目付」の役割だったという.[2]
【参考ページ】
[1]http://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AE%98%E5%85%B5%E8%A1%9B
[2]http://mainichi.jp/feature/news/20131005ddp014040011000c.html
【関連リンク】
http://www2.plala.or.jp/bakauma/kuroda/uma50.html
【ぐんじさんぎょう】, 2013/11/24 20:00
を加筆改修
【質問】
うちの大学の教授が黒田孝高をコウコウって読んでたんですが,そういう読み方もあるんですか?
【回答】
漢字を音読みするのは全く問題無いので,教授の読み方でもOK.
それと,昔は言霊という宗教的概念があり,人の名前をみだりに口にしないのが当然で,普段は役職名とか通称で呼ぶのが普通だった.
孝高(よしたか)を,本来の音とは違う漢字の音読み(こうこう)ならOKだろうという発想で,偉い人の名前を口にする必要があるときは,音読みで呼ぶという変な習慣があったんだよ.
366 名無し議論スレにて投票方法審議中[] 投稿日:2006/12/21 15:12:05 ID:gEbJeYVH(2)
黒田孝高公ならコウコウコウか.
368 名無し議論スレにて投票方法審議中[sage] 投稿日:2006/12/21 15:33:56 ID:iZoc9epx
黒田孝高公が航行中に親孝行
戦国板,2006/12/21
青文字:加筆改修部分
【質問】
大河ドラマ「軍師官兵衛」の脚本家,涙目?
史実だと軍師ですらないっていう…
【回答】
607 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:31:18.82 ID:NHq84/8f0
大河はもう,イケメン武将5人が神仏の力で変身して,切支丹伴天連と戦うとか,そんなニチアサ路線にした方がいいんじゃないかなあ.
610 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:50:23.48 ID:spUpxlNT0
>>607
ハーフのサムライが討ち入りに加わって,魔女を倒す赤穂浪士とかな.
611 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:51:10.14 ID:eoN2kjxx0
だから全部,犬にしておけ,と.
そうしたら,やれ「史実が」「リアリティが」「お花畑」「スイーツ」とか,貶すために貶したがる人の抗議が来ても,
「犬相手に何 マジでになってんの? 犬だよ犬.あんた馬鹿?」
と,軽くいなせるのにな.
613 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:52:28.33 ID:EkkiRsO70
原作:高橋よしひろ
614 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:54:09.89 ID:CuSdZRCQ0
史実の官兵衛に迫ると,人格者の面は消え去り,冷酷非道のド外道に早変わり…
猿「人質は?」
かんべ「殺しときました」
猿「…内通者は?」
かんべ「殺しときました」
猿「……その妻や子供は?」
かんべ「殺しときました」
626 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:16:13.38 ID:qH5PUx/X0
>>614
しかし,それを尋ねてる猿自身も,かなりのド畜生逸話が数多あるんで,
猿「お主も悪よのう」
という返ししか思い付かない.
615 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:56:30.33 ID:eoN2kjxx0
かんべんしてよ.
616 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:01:00.21 ID:xQjV8d2gP
猿「>>615は?」
かんべ「殺しときました」
617 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:24:38.38 ID:kvCAbd5w0
かんべちゃんってば,関ヶ原合戦終了後に,
「関が原の時,家康の近くに居たくせに,なんでアイツを戦に紛れて殺さなかったんだ?
バカか,お前は」
って,息子にげきおこ(激怒)だったんだっけ?
618 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:33:56.97 ID:EkkiRsO70
>>617
実際のところ,当時の九州情勢って,そんな悠長な事言ってられないレベルで,有力大名は西軍ばっかじゃね?
東軍は清正とカンベぐらい.
おまけに背後の毛利まで西軍.
619 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:41:24.01 ID:CebLixaS0
>618
http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1600a.jpg
図だけで見ると,黒田が詰んでる様に見える.
620 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:49:26.02 ID:rS4Eh6dS0
>>619
宇喜多の名前をみると,「島流し…」と思ってしまう.
621 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:52:38.31 ID:jSu2v/i10
大友の無能な息子が頑張っちゃったおかげで.
641 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:18:48.08 ID:pQWHP1UxO
>>619
・日向豊後の諸将は黒田以下の小身大名達
・筑前筑後肥前の小早川秀秋や鍋島直茂に立花宗茂は畿内に出兵中(小早川と鍋島は東軍寄り)
・肥後の小西行長は畿内に出兵中な上,居城宇土城は加藤清正に攻められる
・薩摩大隅の島津龍伯は伊集院騒動のゴタゴタの余波で大軍の派兵は無理
・中国の毛利は主力の毛利輝元,毛利秀元,吉川広家らが出兵中な上,瀬戸内の利権確保の為に伊予やらにも出兵中
・その一環として毛利の援助で上陸してきた大友再興軍を率いるはあの義統
地図の塗り絵で見るほどヤバい状況かと言われると,なんともいえない.
692 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:34:39.20 ID:htSDTySB0
クロカンに野心があったってのは,後世の創作でないの?
家の存続でいっぱいいっぱいだった印象が強いんだが.
693 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:37:45.48 ID:CebLixaS0
黒田家譜で話を盛りまくってるからな.
これはどこでもやってる事だけどさ.
ただ,盛った時に良い意味で伝説化する素材を持ってたのがクロカンだと思う.
694 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:39:01.55 ID:jSu2v/i10
野望ありまくりのオヤジの意図に反して,関ヶ原で頑張っちゃった忠義の息子という図を,家康に見せることで,DQN息子が徳川家の下でやり易いようにしてやったという説もある.
696 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:41:42.48 ID:rfZmh+vR0
長政ちゃんはDQNやないよう.
ただちょっと,特効癖がある天然な子ってだけの話なのよう.
698 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:53:13.88 ID:CebLixaS0
長政の政治力の話だと,黒田家の娘を家光の嫁にするって計画もあって,良い所までいってたらしい.
外様大名からの嫁入りが危険視されて,没になったという話もある.
699 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
23:54:41.26 ID:a3bwUwne0
後藤又兵衛「・・・」
702 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/24(火)
00:40:10.20 ID:7PBumEej0
>699
長政と後藤又兵衛の仲が悪かったのを殊更に言い立ててるのは,>694と同じ理由って説もあったな.
609 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:49:19.42 ID:0LFIEDKg0
大河なぁ…
「歴史を陰で操ってたのは女!」路線になったのはいつからだ?
フィクションと割り切っても,スゲーつまらんのだけど.
612 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
11:51:28.28 ID:K3qFVJXN0
官兵衛の後は,吉田松陰の妹だっけ.
622 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
12:56:58.08 ID:zb+4/QDF0
>>609
「おんな太閤記」あたりからじゃないかな?
あれが大成功したせいで,それの後追いみたいな企画ばかりになった.
(まあ,ホントはその前の「獅子の時代」が,
マイナー人物群像劇だったせいでコケて,それで普通の成功が大成功に見えただけなんだが)
あと,前にもこのスレッドで言われていたが,リアルな殺伐とした話にすると,視聴率は下がるんだよ.
「平清盛」とか凄く評判悪かったろ?
今度のかんべも映像がちょっと「清盛」っぽくて,今からクレームが心配だよ.
646 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:48:23.50 ID:WBjeBg4g0
>>622
清盛は主役としてバツが悪すぎた.
いくら栄華を極めても,宿敵の源氏相手に,一族存亡の危機の真っ最中に病死というのは,あまりにどうかと思う.
625 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:15:25.91 ID:Co0AI8BEP
アレ,絵面まで殺伐にしなくても良かったんじゃないですかねぇ.
623 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:04:37.25 ID:Xtf0LkEb0
殺伐がウケないなら,松尾芭蕉や歌川一門でもやりゃいいのに.
歌川だけで1年いけるって.
631 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:29:21.17 ID:0LFIEDKg0
>>623
おお,結構いいね.
確かに芭蕉ってのは,新しい切り口かもしれんなぁ.
からくり儀右衛門もいいかもしれん.
利休とかだと最近,手垢付き過ぎだけど.
624 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:08:54.01 ID:jSu2v/i10
松尾芭蕉が東北各藩を密偵して回るんですね,分かります.
633 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:34:29.02 ID:zb+4/QDF0
原作・増田こうすけで>芭蕉
638 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:01:43.49 ID:S9iJM+QW0
>>633
腐女子が曾良に群がるから駄目.
627 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:16:20.51 ID:EkkiRsO70
大河は蔦屋重三郎がいい.
628 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:19:49.58 ID:Xtf0LkEb0
>>627
蔦屋は面白いが,大半の人間はTUTAYAしか知らんからにゃー.
630 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:29:08.01 ID:zb+4/QDF0
>>623
直木賞をとった「等伯」をもとに,長谷川等伯とかいいんじゃね?
632 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:32:52.80 ID:vT8ogNDJP
伊能忠敬は?
最初と最後のだけ地元.
あとはおじいちゃんと愉快な仲間たちが,日本各地で美味しいもの食べたり,星を眺めたり,海辺を散策する,まったり漫遊記.
635 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:36:50.95 ID:0LFIEDKg0
>>632
伊能忠敬も良さげだな.
ロシアとかの絡みを入れれば,大河っぽさは充分出るだろうし.
あの人,たしか50過ぎてから測量の勉強しだしたんだよな.
あと,「日本中が大河の舞台!」と宣伝できるし(笑
636 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
13:51:25.80 ID:ZqMOSab/0
キャストでなくて映像に力入れれば良さげだけど,そうすると大河ドラマでなくて紀行ものになっちゃうな.
639 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:05:36.41 ID:jSu2v/i10
伊能忠敬って鹿児島城に潜り込んで,畳の裏に「全部聞いてたぞ」って書いたんじゃなかったっけ?
644 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:30:31.71 ID:vT8ogNDJP
>>639
それ,間宮林蔵じゃね?
640 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:18:09.24 ID:NHq84/8f0
伊能忠敬が行く先々で,何故か事件に遭遇
→地図の測量で解決
にすればいいんじゃないかな?
642 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:19:38.09 ID:MLWRdm4pO
測量殺法がうなる!
643 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:21:01.86 ID:ixfeSlMY0
伊能忠敬が行く先々で,謎の行基教団に襲撃を受ける
→地図の測量技で撃退
645 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
14:43:02.87 ID:0LFIEDKg0
忠敬「助さん,格さん,測量しておやりなさい!」
助,格「へい!」
647 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2013/12/23(月)
15:03:45.65 ID:jSu2v/i10
>>640,642,643,645
お前ら,「江戸むらさき」の見過ぎだ.
漫画板,2013/12/23(月)〜12/24(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田如水の生きていた当時の評価を教えてください.
豊臣秀吉は彼の才覚を見抜いていてさらに野心があることも見抜いていたようですが,他の武将はどう評価していたのでしょうか?
野心家とみていたのか,誠実な人間と見ていたのか.
【回答】
▼ 小早川隆景の如水評が,実に言い得て妙.
------------
ある時,黒田如水が隆景に質問した.
「私は勘によって物事を判断するため,間違いを起こすことがある.
私に比べ,小早川殿の判断には狂いはない.
何か秘訣があるのでしょうか?」
隆景はこれに答えて,
「おっしゃるほどのことではありません.
私は黒田殿ほど鋭くありません.
物事を考えに考え抜いたあげく,結論を出すしかありません.
黒田殿は頭が良いため,素早く決断なさる.
そのために情報に誤りがあった場合に判断が狂われることがあるのでしょう」
------------
これもいい言葉だな.
隆景というのは偉い人だ.
------------
如水の子である長政も,「分別」について隆景に教えを乞うた.
「分別に肝要であるのは仁愛です.
仁愛により分別すれば万が一,理に当たらないことがあっても,そう大きな誤りにはならない.
逆に才智が巧みでも,仁愛のない分別は,正しいとは言えないでしょう」
と答えたという.
------------
如水について,坂口安吾の言った「二流の人」というのは,すごい評価だと思う.
信長,秀吉,家康を一流として,そこまでたどり着けなかった武将.
三流ではないが,運か何かが欠けていたんだろうな.
でも,長政が主人公の小説より,如水が主人公の方が多い.
やっぱり俺は,息子よりは親が好きだな.
戦国板,2006/08/05〜08/25
青文字:加筆改修部分
▲
とうの昔に隠居していたはずの如水が,九州を物凄い勢いで切り取り,しかもその領地をそっくり家康に献上し,恩賞とか別にいりませんと嘯いているのを見て,多分彼の真意を理解していない秀忠は,「今世の張良」という評語を残した.
さらに前の話.
官兵衛(まだ如水じゃない,官兵衛)が,有岡城で反乱を起こした荒木村重の説得に向かい,そのまま行方不明になったとき,信長は
「あいつ裏切ったっぽいから人質(のちの長政)殺せ」
と秀吉に命じた.
それを知った竹中半兵衛が,秀吉に言った.
「私が始末しますから人質をお預けください」
秀吉はそうした.
が,半兵衛は「黒田殿は絶対に裏切るような人ではない」と信じていたので,こっそりと長政を匿って助けた.
如水はまあ実際,野心家でもあったかもしれないが,全体としては「こいつ,お人よしなんじゃないか?」ってくらい誠実で義理堅い.
有岡城で親切にしてくれた牢番にまで義理を立て,その子供を養子にして黒田家の重臣に取り立てたほど,
もっとも,人の上に立つ者はその位でないと.
中国の故事で,将軍が兵卒の労をねぎらったかなんかした際に,その兵の母親が泣いたという話が有る.
「この子の父も昔,将軍にねぎらってもらって感激して,死にものぐるいで戦って死んだ.
この子もきっと戦って死ぬだろう」
と.
果たしてその通りになった.
日本史板,2009/12/14(月)
青文字:加筆改修部分
▼126 名無しさん@お腹いっぱい.[] 投稿日:2006/08/25
01:07:36 ID:a467UOEj
自分の受ける感じ,長政は「かなり仕える部下」,如水は「仕える部下」からはみだしている.
どっちが上かは考えてもわからないけど,あの時代(天下二分)に主体的に動けるのはすごいと思う.
小説になりやすいのも,秀吉が警戒したかもしれないのも,そこだと思う.
127 名無しさん@お腹いっぱい.[sage] 投稿日:2006/08/26
08:44:10 ID:ZuXyrt7n
如水は,主君から信頼が全然ないのが致命的だな.
小寺,豊臣,徳川と立て続けに不信がられてるのはな.
才気煥発すぎる秀吉にしても,信長には部下として信頼されたし,家康にしたって一応は律儀者だと評判もあったのに,なんでなのか?
なんか事を起こす前に,余計な言動であっさり警戒されてるのは,人がいいというか,うっかりしてるというか・・・
128 名無しさん@お腹いっぱい.[sage] 投稿日:2006/08/26
23:16:00 ID:NWtay/5K
頭のいいバカって感じだな.
後年は特に.
戦国板,2006/08/26
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
黒田官兵衛への「戦上手」という評価は妥当?
【回答】
実績あるから.
寡兵で大軍を4度破ってる.
その内2つは,規模が300対1000とかで小さいから,有名じゃないのかもしれないが,後の2回は毛利戦で10倍の相手に勝ってる.
もちろん黒田隊のみで.
青山合戦
○黒田300 VS 赤松政秀1000
土器山合戦
○黒田300 VS 赤松政秀3000
英賀村の戦い
○黒田500 VS 浦宗勝5000
阿閉城篭城戦
○黒田500 VS 宇喜多軍8000
三木城攻め
○黒田隊500 VS 別所勢700
○黒田隊500 VS 別所勢1000
たとえば,城井攻めは序盤から中盤まで,長政で負けっぱなし.
孝高は持久戦を予定してたのに,長政が焦って攻めて大負けした.
親父に鼻血が出るほど(比喩)怒られて,「俺は武士に向いてない」と落ち込んで,頭丸めて寺に謹慎したのもこのとき.
まあ,まだ10代だから仕方ない.
後半戦は,孝高が落とした城井の小城を要塞化して,そこを足場に,篭城する城井勢の支城をひとつひとつ攻略して追い詰め,停戦に追い込んだ.
こういう城攻めさせたら,孝高はやっぱり戦上手だよ.
逆に文禄・慶長の役で,長政は国内と勝手の違う戦い方の経験を集めて,武将として成長したんだと思う.
ただ,大友を降したときは,主体が即席の傭兵だからやっぱり弱兵で,黒田家の古参の家来が,その分過剰に奮闘せざるを得なかった.
だから,如水は結果的に,古参の重臣をかなり戦死させちゃったんだけどな.
戦国板,2006/08/03〜08/23
青文字:加筆改修部分
【質問】
如水さんは上司に嫌われる性格だったの?
【回答】
主君と合う合わないとか性格がどうか,とかは結局のところ,それぞれの印象論になってしまうから,個人的にはあまり意味がないと思う.
策略家とか黒い所とか上司に嫌われるとか,大抵が後世の後付だから.
いろんな人がそれぞれの思惑で作った話を並べてみれば当然よくわかんない人になる.
ただ,豊臣政権の内部での権力闘争に負けて,秀吉から政権の中枢から遠ざけられたのは事実.
三成らの奉行派との対立で,孝高自身は文禄の役で失脚し,慶長の役の蔚山救援戦の事後処理で,蜂須賀家政と共に長政も完全に失脚している.
だからこの二人(家政・長政)が,七将襲撃の中心になったわけで.
というか,文治への移行の過程で,黒田家の活躍の場自体がなくなって,要するに豊臣政権に特に必要ではなくなったということ.
秀吉に嫌われた,というより不要になった,という方が近い気がする.
徳川政権でも,不要になった武断派は冷遇されてる.
家康が長寿だから,先に死んじゃったのも多いけど.
秀吉が長命なら,文治に安定して移行する時間があったんだろうけど,途中で死んじゃったからな.
ここん家は,秀吉死後の政権のごたごたで,最も得した家のひとつだと思う.
戦国板,2012/01//31(火)〜02/01(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田官兵衛の兜について教えてください.
【回答】
合子(ごうす)[ふた付きのわん]の形をした,合子形兜(ごうすなりかぶと)と呼ばれるもの.
兜のしころは,赤みのある革でくるんだもので,威毛は黒糸素賭威.
黒田官兵衛は,妻・光姫(幸圓)の父である志方城主・櫛橋伊定から婚約の祝いに,銀白壇塗合子形兜を贈られた.
これは元来は南北朝時代の武将・赤松円心の愛用品.
黒田官兵衛はその兜をもとに,朱を混ぜた漆を表面に塗ったものを制作し,これが「如水の赤合子」と恐れられることになる.
のちに南部藩(岩手県)に献じられ,現在は同県盛岡市中央公民館に所蔵されている.
▼ この兜の由来は,おとぎ話「鉢かつぎ姫」(官兵衛の出身播磨では「鉢かぶり姫」)から.
このお話はザックリいうと,頭に鉢がくっ付いてしまった娘が不幸を乗り越え,ようやく鉢から取れると中から金銀財宝が出てきて幸せになったという話.
そこから転じて,戦が終わって兜を脱ぐと幸運が訪れるようにというゲンを担ぐため,あの形の兜を使用したという説がある.
戦国板,2011/01/01(土)
青文字:加筆改修部分
▲
大阪城では,あのおわん兜の模型が小学生に爆笑されてる.
自分も初めて見たとき,やっぱり噴いた.
戦国板,2006/09/21
青文字:加筆改修部分
【参考ページ】
http://kanbei.tenkomori.tv/e302153.html
http://blogs.yahoo.co.jp/rowmoment_boy/23427129.html
http://chikuwa7.at.webry.info/201210/article_1.html
http://www.geocities.jp/kazzuki2001/
官兵衛の「朱塗合子形兜・黒糸威胴丸具足」
(こちらより引用)
【質問】
新しく開館したもりおか歴史文化館の特別展(南部家の至宝展)を,何の気もなく見に行った.
官兵衛の合子型兜の実物があった.
えーっ!?
なぜ,ここにある!?
正直,パニクりました.
どういう縁でしょう?
南部家所蔵なの?
【回答】
孝高が死ぬときに形見分けとして,重臣・栗山利安に譲ったのです.
それから20年くらいして,孝高孫の忠之と利安息子の利章(大膳)が対立して,御家騒動が起こりました.
いわゆる黒田騒動です.
彼はこの家宝の合子兜を持ったまま,南部に流されたのです.
戦国板,2011/07/29(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田如水・長政のキリスト教信仰は,どの程度だったの?
【回答】
如水が正式にキリシタンだったのは,時間的には短い.
洗礼を受けてから,1587年の棄教令で棄教するまでの3年間だけ.
信仰の姿勢は,思いつめたところがないっていうか,なあなあというか,常識的.
高山右近に唆されてキリシタンになった如水は,まず黒田家内で布教を始める.
遠征の陣中にも修道士を連れてったり,イエズス会の布教を支援したり.
だけど,家族にも領民にも信仰を強制したりはしなかった.
「お前も修道士の話を聴いてくれたら嬉しいが,信仰を強制するつもりはない」
と,如水が息子に言った場に,イエズス会士が居合わせて,記録してる.
長政も,なんとなく付き合いでキリシタンになった感じ.
如水の妻は,浄土宗の信者のままだった.
如水も,仏教徒とキリシタンを両立させてる.
▼ また,大友義統,熊谷元直,小早川秀包は黒田孝高の影響を受けてキリシタンになった,とフロイスの日本史に書いてある.
秀包はマセンシアとの結婚前に,すでに山口の教会(別説では中津で黒田直之や長政と同時期)で洗礼を受けてる.▲
その後,如水と長政は棄教令で棄教してるけど,黒田家は領内のキリシタンは保護してる.
如水は表向き棄教してるけど,葬儀もイエズス会が行ったように,信仰は捨ててない.
長政は,キリシタンだった時期がものすごく短いので,本人の信仰はよく分からないけど,筑前に移ってからも,政策としてはキリシタンに寛容だった.
叔父・黒田ミゲル直之(このひとは棄教しなかった)が城主の筑前秋月領には教会があり,2000人以上のキリシタンがいた.
というか,叔父が布教した.
長政自身,禁教令(1614年)が出るまで,領内のキリシタンを弾圧していないし.
戦国板,2006/09/10 & 09/24
戦国板,2011/07/16(土)[2014.2.18追記部分]
青文字:加筆改修部分
【質問】
「水五則」って何?
【回答】
俗に,黒田如水が創ったとされる人生訓.[1]
他に王陽明作,または太田道灌作と言われることもある.[3]
人生の指針を水に喩えており,曰く,
一, 自ら活動して 他を動かしむるは水なり
一, 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
一, 障害にあい 激しくその勢力を百倍し得るは水なり
一, 自ら潔うして他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの量あるは水なり
一, 洋々として大洋を充たし 発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し 凝っては玲瓏たる鏡となり 而もその性を失わざるは水なり
1番目の句の意味するところは,「率先垂範せよ」
2番目は,「自ら考えて道を拓くことを心がけよ」
3番目は,「あきらめることからはなにも生まれない」
4番目は,「人を追いやることをせずに共に頑張ろう」
最後の句の意味は,「常に自然の理(ことわり)にそって物事を考えよ」ということ.[2]
しかし,俗に伝えられる作者の言葉でないことは,江戸後期の蘭学者が訳語として作った「蒸気」と言う言葉があることや,「水が蒸発して雲になる」というのちの科学知識が入っていることからも明らかだという.[3]
高島俊男らの調査では,昭和四年二月号の講談社「キング」に掲載された大野洪聲の文章「絵入教訓 水五則」が,辿れる限りの一番古い資料だとしている.[2]
なお,禅宗の永平寺にも,似たような「水五訓」がある[1]そうなので,それを元に,昭和初年頃に改作されたものなのだろうか.
【参考ページ】
[1]http://www1.bbiq.jp/hukobekki/jinseikun/jinseikun.html
[2]http://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=734
[3]http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%E5%B8%DE%B7%B1
戦国板,2006/09/27
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田官兵衛の主要な家臣を教えてください.
【回答】
・黒田八虎
黒田兵庫助(官兵衛の弟 日向の陣で先手し長政を補佐)
黒田修理助(官兵衛の弟 一時羽柴秀長に仕える)
黒田図書助(官兵衛の弟 一時羽柴秀長に仕える.藤堂高虎と親交があった)
栗山四郎右衛門(生涯首数57級 官兵衛一番のお気に入り)
井上九郎右衛門(官兵衛の父職隆の側近)
母里太兵衛(常に黒田家の先鋒をつとめ,生涯首数76級は家中No1)
後藤又兵衛(長政と兄弟のように養育された.藩外での名声はNo1)
黒田三左衛門(官兵衛が有岡城に幽閉された際の看守の息子)
・黒田二十四騎
上記8人に加え,
久野四兵衛
野村太郎兵衛(宇都宮鎮房に一の太刀)
吉田六郎太夫(生涯首数50級)
桐山孫兵衛
小河伝右衛門
菅六之助
三宅山太夫
野口佐助
益田与助
竹森新右衛門(黒田家復興の立役者の息子,旗奉行)
林太郎右衛門
原弥左衛門
堀平右衛門
衣笠久右衛門
毛屋主人
村田兵助
黒田二十四騎の一人菅六之助は,剣術に長じ,新陰流(疋田文五郎)と当理流(宮本武蔵の養父無二之助の流儀)の免許皆伝.
朝鮮で虎を斬り殺した経験もある.
加藤清正の虎退治は逸話だが,こちらは実話だ.
関ヶ原の合戦で島左近を倒したのも彼の隊だが,このときは鉄砲隊の狙撃であった.
A.H:日本史板,03/12/25 23:21
青文字:加筆改修部分
【関連リンク】
http://www2.plala.or.jp/bakauma/kuroda/uma52.html
http://www.relatedknb.com/jinbutu/hachitora.html
【質問】
後藤又兵衛について教えてください.
【回答】
後藤基次(1560−1615)のこと.
安土桃山の武将.
通称又兵衛,後に隠岐守と称す.
黒田孝高・長政に仕え重用.
1587年の九州征伐従軍,朝鮮侵略で晋州城やウルサンで活躍.
関が原後,長政の筑前の大隈城1万6千石となる.
謀反の嫌疑をかけられたという説があるが,ともかく1606年に去り,諸国を流浪.
大阪の陣では豊臣方で籠城.
奮戦するが討ち死に.
武勇伝は多くあるが,いづれも史実に乏しい.
関連書籍は,
「播州後藤氏の栄光―後藤又兵衛基次の系譜」
松本 多喜雄 (著)
また,「後藤又兵衛」で10冊あった↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-9193966-8744225
日本史板,2002/12/07
青文字:加筆改修部分
【質問】
如水が長政より後藤又兵衛を可愛がってた,というのは本当なの?
又兵衛が厚遇されてたのは知ってるけど,何か根拠になる話ってあったっけ?
たまにそう言われてるのを見かけるから,ずっと引っかかってる.
もし本当だとしたら,長政ちょっと哀れだな…
【回答】
この手の話は,実態は史料的に裏づけなんてできないんだから,特定の典拠とか別にない.
最終的には推測・解釈の問題になっちゃうわけだし.
如水が息子の長政より又兵衛の方を武将として評価していた,という解釈自体は,特にどれが確かな出典というわけでもなく,昔からわりとよくある.
司馬遼太郎も基本的に『播磨灘』ではそういう書き方だったし,他の小説とかでも多いんではないかと.
真相は,確かめようにも史料がないのが実情.
後藤又兵衛は全般的に史料自体が少ないんだよ.
確かなのは,1万6000石もらって要所を任されるほど厚遇されたのに,自分の方から黒田家を出て行ったのと,その後,長政の奉公構えでもつれにもつれた,という2点だけ.
長政が又兵衛の息子に無理やり鼓打たせて侮辱したのが原因とか,昔からいろいろ諸説言われてるけどな.
ふつうに,後藤又兵衛の奉公構えでは,何度も幕府の仲裁が入るくらい揉めたんで,それだけこだわるほどの確執が,長政の方にあったんだろう――というところから,理由さがしで派生してきた可能性もある.
古くからあるパターンで,戦前の小説とかでも見られる.
史実では,長政の時にも,後藤を含めて他の重臣との間に,待遇の点で一成との差はない.
孝高・長政期には,母里・栗山両家の扱いが別格.
忠之の代に,播磨以来の譜代が相対的に没落・遠ざけられる中,厳密には播磨以来の古参ではない黒田(加藤)一成が,むしろ重用されてゆき,一成の死後,三奈木黒田家が徐々に筆頭家老(大老)として地位を確立してゆくという流れ.
戦国板,2012/05/14(月)〜06/04(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田官兵衛と毛利家との関係は?
【回答】
毛利家の小早川隆景と官兵衛はまぶダチ.
九州征伐でも一緒に鍋島調略してるし,朝鮮でも隆景と小西が意見食い違ったときも,官兵衛は隆景と同じ発言してる.
吉川広家が家督継ぐとき後押ししたのも,婚姻の世話もしたのも如水.
秀吉の次に認めてたと思うよ.
広島に築城した時も,官兵衛に土地の鑑定してもらってる.
もっともこの件は,策士同士の腹の読みあいってかんじだけどな.
如水と長政は豊臣政権で,対毛利家の外交窓口である取次って職についてたから,毛利家と縁が深いのはそのせいだろう.
結局,黒田親子が政権内で失脚して,あとは三成が取次ぎになったけど,長政の関ヶ原の時の工作が成功したのは,毛利家との2代にわたる信頼関係があったからでしょうね.
ただ,毛利家というかこの一族ってさ,如水と関わって,良かったことより迷惑を掛けられたことのほうが多いんじゃなかろうか…
吉川元春に膾を勧めて,結果的に寿命を縮めさせたのは,この人.
嫌がる毛利領でのキリスト教布教を,輝元に取り付けて支援したのも,この人.
(んで,その直後に禁教令が出て,如水はあっさり棄教.毛利領内の切支丹は弾圧)
秀秋の養子先に,最初に毛利家を打診して,小早川家が絶えたのも,この人のせい.
関ヶ原で,吉川広家に結果的に空証文掴ませたのは,息子.
(関ヶ原後,毛利家が防長2国になって家臣の家禄も払えず,新領主からは年貢の返米も迫られ,窮地に陥ったとき,輝元は領地を返上して,いっそ大名を辞めようかどうか如水に相談してる.
如水が,辞めないでとりあえず頑張りましょう,そのうちいいこともあるかもよ,とか慰めて止めたはず.
だから,信頼関係は(なぜか)ずっとあるみたいなんだけどな)
ここぞ,というところで悪意のない働きかけをされた結果,すごく迷惑してる気がする.
毛利の人々は,それでよかったのか…?
戦国板,2006/08/16〜08/20
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田長政と石田三成との間に,個人的な悪感情はあったの?
【回答】
関ヶ原の当日,長政は家中から500人選抜して精鋭部隊を組織して,
「お前らは治部少の首だけを狙え.
他の首は功名にはならん.
あいつ殺してこい」
と命じてる.
取れなかったけど.
三成の首級だけ狙わせたのは,もちろん軍功を上げるためだけど,個人的にも長政が三成を嫌いだったのは確か.
戦国板,2006/09/24
青文字:加筆改修部分
【質問】
長政は,なんであんなに後藤又兵衛が嫌いだったんだろう?
又兵衛の奉公構えは,しつこ過ぎるというか執念深すぎるっていうか,いい加減粘着質な性格してる気はするけど・・そんなに嫌い?
別に裏切られたとか,誰か殺されたとか,そういう具体的な事実もないし.
【回答】
長政は仮想敵国,豊前・細川領との国境に城を作って,その城の一つを又兵衛に任せたのに,逆に又兵衛は細川家との親交を深めた.
それが主君の長政には内通に見え,怒ったのが理由のひとつらしい.
黒田家の重要な情報が,細川や他の諸侯に漏れるのを恐れたというか.
また,逸話だからどこまで本当か分からないけど,長政が朝鮮の武将と組打ちして危ないときに,又兵衛が扇ひらひらさせて,平然と高みの見物してる話とか読むと,「主君が死にかけてるときは助けてやれよ!(笑)」という気はする.
他に男子のスペアのない当主の長政が,主従で功を競って暴れすぎて死かけてたりするし,黒田家はこのあたり,価値観がちょっと変かも.
戦国板,2006/09/26
青文字:加筆改修部分
【質問】
親父黒田より息子黒田の方が,実は大物なんじゃない?
親父の秀吉の天下取りへの貢献と,息子の関が原での活躍の,どちらにより信憑性があるかといえば,明らかに後者だろうに.
如水も長政本人も周囲の人間も,なぜか父の方が偉大だと思いこんでるのが,何か不思議な気さえする.
【回答】
長政の懐柔は,如水の布石と信頼があったから行えたんだってばよ.
・小早川秀秋→秀頼誕生の時,立場が危うくなった秀秋を,小早川家の養子に斡旋.
付け家老を黒田家から2人出す事に成功.
・吉川広家→広家は嫡子では無いが,元長死後に如水に吉川家の相続を根回ししてもらう,如水を師父と敬慕.
・武断派七将→戦場の生き字引として,深く尊敬される.
清正に至っては関ヶ原の九州戦線で,如水に従うと言う手紙さえ送っている.
これだけの下地を作ってたからこそ,長政の工作が実を結んだのだよ.
そして,長政しか離反工作を行う事が出来なかったのは,如水の信用がバックにあったから.
高虎でも藤孝でも忠興でもなく,長政でなければ対毛利の工作はできなかったんだね.
長政はむしろ,江戸時代になってからの業績を,もっと評価されてもいいような気がする.
領国経営も及第点だし,外交的にもこまめに幕閣の有力者の情報収集をし,見舞いに行ったり姻戚関係を結んだりと,外様大名としての生き残りを賭けて,こちらの方面でも最後までよく働いてると思う.
戦国板,2006/08/17
青文字:加筆改修部分
自分の受ける感じ,長政は「かなり使える部下」,如水は「使える部下」からはみだしている.
どっちが上かは考えても分からないけど,あの時代(天下二分)に主体的に動けるのはすごいと思う.
小説になり易いのも,秀吉が警戒したかもしれないのも,そこだと思う.
戦国板,2006/08/25
青文字:加筆改修部分
【質問】
黒田長政の兜って,どんなもの?
【回答】
こんなもの.[1]
この兜は,源平合戦の戦場の一つである,一の谷の鵯越(ひよどりごえ)の急峻な崖を表現した,「一の谷形兜」と呼ばれるもので,ヒノキの薄板の上部を前方に曲げ,表面には銀箔を押してある.[1][3]
「竹中家譜」によれば,この兜は,竹中重治の死後,福島正則の手に渡り,その後黒田長政の所用となったという.[1]
また,「黒田家重宝故実(じゅうほうこじつ)」によれば,
「朝鮮出兵で不仲となった福島正則と黒田長政を仲直りさせるために,竹中氏や長谷川氏が仲介となって,それぞれが用いていた兜の写し(=複製品)を交換させた」
とされている.[1]
一方,交換で福島正則の所用となったのが,こちらの兜.
大水牛兜と言う物で,鉄地黒漆塗桃形鉢で,眉庇上に眉と見上皺を打ち出し,金箔押石餅を前立としている.
脇立は金箔押の大水牛で,▲(しころ)は朱漆塗吹返しに革包み3枚の笠▲形式.
総重量,2.65kg.[2]
(▲=革ヘンに毎)
元は浅井長政の使番・浦野若狭守が所持.
浦野は熱烈な八幡神を信仰する武将で,ある日,通夜で武運祈願をしている最中,ふと夢を見て夢から覚めると,この大水牛の兜が忽然と現れたという.[2]
浅井家が没落すると,浦野は黒田長政に仕え,この大水牛脇立兜の写し(複製)を作り,献上した.[2][3]
当時は,交換されるものといえば脇差が普通で,兜の交換は珍しく,それだけこの兜は名兜としてとても有名だった.[5]
もちろん,長政にとってもお気に入りの兜だったらしく,朝鮮役にもこれをかぶって行った.
さて,その文禄の役.
とある戦場で長政,敵軍の将発見.
例の如く一人で駆け出した.
黒田軍のみなさんが「殿!!」とあわてる間こそあれ,気がつけばその敵将と,川の中で組討を始めてた.
さて,川の中である.重い鎧を着ている.当然のことだが,沈む.
ブクブクブク
「ああ!殿が水の中に!」「殿はいずこ!?」
すると川の中から,にょっきりこの兜の角が現れた.
「おお!殿はあそこだ!」「殿は無事だ!」
ブクブクブク
「殿はいずこー!?」
にょっきり
「ああ良かった無事だ」
ブクブクブク
「殿ー!?殿はどこにー!?」
水面から角が出たりもぐったり.
そんなことを繰り返しているうちに長政,気がついたら敵将を討ち取り,川から這い上がってきた.
家来「殿,ご無事でしたか! しかしその兜のおかげで,殿の場所だけはバッチリ分かりました!」
長政「…」
戦国板,2009/03/17
青文字:加筆改修部分
また,関ヶ原前哨戦で増水した合渡川を渡るときには,乗馬が足を滑らせ長政が川に転落し流されたのだが,兜の尖った先が柳の枝に引っかかって,何とか家臣に救出され,命拾いした.
ここで長政死んでたら大変なことになってたから,変わり兜が好きでよかったな(笑
217 名無しさん@お腹いっぱい.[sage] 投稿日:2006/09/21 21:42:43 ID:0mraRwdX
名将言行録で誰だったかが,自分の具足姿を見て怖がる奥さんに,
「黒田殿を見たらショック死するぞ」
みたいな事言ってなかったっけ.
「当時(少なくとも言行録が編集された頃)から見ても,やっぱりあれはショッキングだったんだ」
と笑った記憶があるんだが.
戦国板,2006/09/21
青文字:加筆改修部分
【参考ページ】
[1]http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2007/nagamasa3/html/nagamasa3.html
[2]http://www.rekishijin.jp/kachu-blog/20120412daisuigy/
[3]http://blog.livedoor.jp/sengle/archives/2160334.html
[4]http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/suigyukabuto.html
[5]http://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/20c45ec59ed328c2bd9cc98be8ab458a