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◆◆◆ドイツ海軍 Német Császári Haditengerészet
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<戦史FAQ 目次
「それにつけても金のほしさよ」◆やる夫が地中海で,ドイツ潜水艦と戦うようです
『ドイツ艦隊大自沈』(ダン・ファンデルバット著,原書房,1984/01)
読了.
かいつまんでいうと,テルピッツによる大艦隊建造計画の始まりから,スカパフローでの一斉自沈に至るまでの,帝政ドイツ海軍の歴史を解説した本.
・テルピッツとカイザーヴィルヘルムによる大海軍計画の進行と,それがいかにヨーロッパの対立に火を注いだか?
・一次大戦において,彼らはいかに戦い,あるいはいかにして戦わなかったか?
・水兵反乱から始まり,スカパフローで終わる大海艦隊の崩壊まで.
特に休戦後のドイツ艦隊の内幕,反乱を起こした水兵達が,いかにダメダメな連中だったか?
・政治に翻弄され,情報もろくに入らない中でドイツ艦隊司令官は何を思い決断したか?
日本では他に数が少ない内容のもので,大変興味深かった.
ただ,一つ大きく不満なのは,原書では自沈の後に,サルベージ業者による艦隊の引き揚げに関する章があったのが,日本語版ではページ数の関係で削られ,後書きでの内容抜粋という形に縮められていた事.
カイザーの大艦隊の残骸が,二次大戦後に意外な形で人類の科学の発達に役立っている事を,書かずにどうする.
------------軍事板,2011/02/25(金)
英独の建艦競争から第一次大戦,ジュットランド海戦,講和そしてスカパブローでの自沈までが,判り易く書かれて読みやすかった.
特に興味深かったのが,休戦から自沈までの英独間の動き.
この辺の描写は,他の資料だと大体3~4行で済まされてるもんで.
ついでにWW1の英独の主力艦の図説のような洋書があれば教えて貰いたいと思います.
海人社の近代戦艦史,イギリス戦艦史,ドイツ戦艦史は既に保有していますので…
------------軍事板,2012/02/12(日)
【質問】
ルックナー『海の鷲』はフィクション?
【回答】
全くのフィクションではないが,鵜呑みは非常に危険.
作者のローウェル・トマスって,アラビアのロレンスなんかも書いていたりして,1の事実を10ぐらいに脚色して書くので悪名高かったりする.
元々ジャーナリスト出身だから,センセーショナルな物を好むのは仕方ないのかもしれん.
青文字:加筆改修部分
【質問】
何故ドイツは,イギリスに建艦競争を挑んだんですか?
【回答】
最新の潮流はどうなってるか知らないけど,ドイツ史には「外交における内政の優位」という考えが根強くあって,建艦政策はもっぱら国内問題の所産として描かれることが多いですな.
社会民主党対策としてのユンカー層と重工業界の同盟という奴です.
農業関税を引き上げて(1902~)ユンカー層の利益を擁護するとともに,その収入を建艦に充て重工業界を富ませるという,プロイセン蔵相ミーケルの発案による「結集政策」として,ドイツ内政史上あまりにも有名な政策です.
また,ユンカーと重工業界の同盟だけでなく,それに付随して艦隊協会や農業家同盟,全ドイツ連盟といった大衆団体の組織によって,保守的大衆を支配層の側にひきつける効果もあったかと思います.
国民的シンボルとしての海軍(ドイツでは帝国陸軍は存在しないが帝国海軍は存在したため,「ひとつのドイツ国家」の重要なシンボルとなった),という要素も重要で,「雄飛するドイツ帝国」というイメージ形成によって国内問題を国外にそらす上で,大艦隊の存在は大きな意味を持っていました.
実際,社会民主党も帝政後期には社会帝国主義論を掲げるようになっていて,一定の効果はあったかと思われます.
ナポレオン◆oxskxXY/hA in 世界史板,2005/10/12(水)
WW1前の話なら,弩級戦艦が登場したことで,それまでの戦艦が全て旧式化したため.
圧倒的な海軍力を持つイギリス海軍に,ヨーイドンで競争ができるというチャンスが生まれた.
それ以外には皇帝の外交政策とか,植民地獲得競争に出遅れたドイツのルサンチマンなどがある.
青文字:加筆改修部分
【質問】
帝政ドイツの「艦隊法」ってのはどんな内容だったのでしょう? なんか足枷になっていたみたいですが.
【回答】
Kaiser Wilhelm IIが発した艦隊法は二次に渡って制定されています.
最初が,1898年で,19隻の戦艦,8隻の海防戦艦,12隻の大型巡洋艦と30隻の小型巡洋艦を,1903年までに建造するというものでした.
第二次は,1900年で,その規模は倍増し,38隻の戦艦,14隻の大型巡洋艦,34隻の小型巡洋艦と,96隻の駆逐艦を1920年までに建造するというものになりました.
1906年には弩級艦の誕生を受けて,第三次というか,第二次の第一次改訂案が作られ,更に6隻の弩級艦で3個戦隊を,また,植民地用に6隻の装甲巡洋艦を追加しています.
更に,潜水艦,水雷艇の追加も為されました.
かてて加えて,1908年に第二次改訂が加えられ,旧式海防戦艦8隻と前弩級艦4隻の代わりに,4隻の弩級艦の建造が計画され,1912年から1917年までに各二隻の戦艦が毎年就役するようになっています.
1912年には第三次改訂が加えられます.
これは3隻の大型巡洋艦の代わりに,3隻の弩級艦と2隻の軽巡洋艦が加えられました.
あれやこれやで最終的に,1隻の旗艦,3個戦隊を維持する24隻の弩級艦,8隻の巡洋戦艦,18隻の軽巡洋艦,これが第一線戦力.
予備役として,2個戦隊16隻の戦艦,2隻の装甲巡洋艦,12隻の軽巡洋艦.
海外植民地警備用に,8隻の装甲巡洋艦,10隻の軽巡洋艦.
水雷戦隊用に,3隻の水雷戦隊旗艦,108隻の水雷艇,54隻の潜水艦.
水雷戦隊予備として,36隻の水雷艇,18隻の潜水艦,1隻の水雷戦隊旗艦.
これらを建造する予定でした.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
【質問】
第二帝政時代のドイツ海軍の編制を教えて下さい.
【回答】
●開戦時の編成.
大海艦隊(Hochseeflotte)
旗艦:FriedrichderGrosse
第1戦隊(弩級艦8隻)
Ostfriesland/Thueringen/Helgoland/Oldenburg/Posen/Rheinland/Nassau/Westfalen)
第2戦隊(前弩級艦8隻)
Preussen/Schlesien/Hessen/Lothringen/Hannover/Schleswig-Holstein/Pommern/Deutschland)
第3戦隊(弩級艦4隻)
Kaiser/Kaizerin/KoenigAlbert/PrinzregentLuitpold
第1偵察戦隊(巡洋戦艦3隻+装甲巡洋艦1隻)
Seydlitz/Moltoke/VonderTan+Bruncher
第2偵察戦隊(小型巡洋艦7隻)
第3偵察戦隊(小型巡洋艦5隻)
第4偵察戦隊(装甲巡洋艦4隻)
Roon/Yorck/PrinzAdalbelt/PrinzHeinrich
第5偵察戦隊(大型巡洋艦4隻・但し予備艦の動員)
第4戦隊(前弩級艦7隻)
Wittelsbach/Wettin/Mecklenburg/Schwaben/Zaehringen/Braunschweig/Elsass
第5戦隊(前弩級艦7隻)
KaiserFriedrichIII/KaiserWilhelmII/KaiserWillhelmderGrosse/KaiserKarlderGrosse/
KaiserBarbarossa/Brandenburg/Woeth
第6戦隊(海防戦艦7隻)
SiegfriedClassが7隻
第1潜水戦隊(小型巡洋艦1隻+潜水艦)
第2潜水戦隊(小型巡洋艦1隻+潜水艦)
機雷戦艦艇(敷設巡洋艦2隻)
東海艦隊
東海防備部隊(小型巡洋艦7隻+大型巡洋艦1隻)
砲術学校(大型巡洋艦1隻)
水雷学校(装甲巡洋艦1隻)
Friedrich Karl
港湾防備隊
エムス水域(Embden)(小型巡洋艦1隻)
ヤーデ(Willhelmshaven)/ヴェーゼル水域(小型巡洋艦3隻)
エルベ水域(Hamburg)(小型巡洋艦1隻)
東アジア巡洋艦戦隊(装甲巡洋艦2隻+小型巡洋艦3隻)
Scharnhorst/Gneisenau+3隻
地中海戦隊(巡洋戦艦1隻+小型巡洋艦1隻)
Goeben+1隻
東アフリカ派遣(小型巡洋艦1隻),米東海岸派遣(小型巡洋艦1隻)
●1916年12月1日現在の大海艦隊編成
旗艦:Baden
第1戦隊(弩級艦8隻)
第1小隊:Ostfriesland/Thueringen/Helgoland/Oldenburg
第2小隊:Posen/Rheinland/Nassau/Westfalen
第2戦隊(前弩級艦6隻の予備戦隊後に解消)
Deutschland/Hessen/Preussen/Hannover/Schlesien/Schleswig-Holstein
第3戦隊(弩級艦4隻)
Koenig/GrosserKurfuerst/Markgraf/Kronprinz
第4戦隊(弩級艦5隻)
FriedrichderGrosse/Kaiser/Kaizerin/KoenigAlbert/PrinzregentLuitpold
第1偵察戦隊(巡洋戦艦4隻)
Hindenburg(1917~)/Seydlitz/Derflinger/Moltoke/VonderTan
第2偵察戦隊(軽巡洋艦8隻)
第4偵察戦隊(軽巡洋艦3隻+敷設巡洋艦2隻)
水雷艇(7水雷艇隊76隻)
潜水艦(小型巡洋艦1隻+水雷艇7隻+4潜水艇隊66隻)
機雷戦艦艇,掃海艇,前哨戒隊,支援艦艇
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/04/03(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「カイザー・ウィルヘルム・デア・グロッセ」とは?
【回答】
第一次大戦前まではドイツ有数の客船.
1897年,シュテッチンのフルカン造船所で竣工.
総トン数14,349トン,全長199.5m 乗客は一等506名含む1506名.
ブレーマーハーフェン=ニューヨーク間を皮切りに,大西洋航路の主力客船として就航,航海速度を競うブルーリボンに輝くこと2回.
本船を皮切りに,ブルーリボンは1904年のルシタニアによるイギリス客船獲得まで,ドイツ船が独占することになった.
また,はじめてのマルコーニ製商用無線機を搭載した船でもある.
しかし,その間に2回大きな衝突事故を起こしており,いずれも死傷者を出している.
1914年の第一次大戦勃発にあわせてドイツ海軍に徴用,仮装巡洋艦として通商破壊任務に就く.
武装は105mm砲6門,37mmホチキス機関砲2門.
艦長はz.S. Rayman.
8月4日にウェーゼル運河を出て,大西洋に出撃,二隻の貨物船を撃沈するも,燃料の石炭積み込みを行うために向かった,スペイン領モロッコ沖で8月26日英巡洋艦ハイフライヤーに捕捉されて交戦,沈没した.
艦長以下は,打ち上げられた先のスペイン官憲に投降し,本船の短い第一次大戦は終わった.
参考:”The Kaiser's Pirates-German surface
raiders in World War One" John Walter
Arms&Armor Press
客船時代の「カイザー・ウィルヘルム・デア・グロッセ」
沈みゆく「カイザー・ウィルヘルム・デア・グロッセ」
ゆずこせう in mixi,2012年07月02日00:18
【質問】
「メーヴェ」とは?
【回答】
第一次大戦におけるドイツ帝国海軍の仮装巡洋艦.
1914年5月にギーステミュンデ(ブレーマーハーフェン)で進水.
このときの船名は『プンゴ』.
就役後,ドイツ領カメルーンからのバナナ運搬に従事していたが,大戦勃発と同時にドイツ帝国海軍に徴用,ウィルヘルムスハーフェンで機雷施設艦としての改装を受ける.
このときメーヴェと改称.
艦長はニコラウス・ツ・ドーナ=シュローディエン.
排水量9800t 総トン数4788t 全長124.5m乗員235名 武装15cm砲×4 10㎝砲×2 魚雷発射管×2
大戦二年目も押し詰まった1915年12月29日にキールを出港,
悪天候が逆に幸いして,イギリスのスカパフロー近くのベントラン海峡に,250個の機雷を施設した.
その直後の1916年1月6日,英戦艦キングエドワーズ7世が航行中に触雷,沈没した.
その後はフランスのラロッシェル.ジロンド河口にさらに機雷を施設,ここでも2隻が沈没した.
その後カナリア諸島沖,そしてブラジル近海まで河岸をかえて,今度は通商破壊任務につく.
1916年4月にキールに帰還するまでの間,合計15隻を襲撃,2隻を捕獲した以外はすべて撃沈した.
帰還後,6月に一時的に『ヴィネッタ』と改名,8月までの短期間ノルウェー沖に出撃したが,戦果は1隻にとどまった.
だが,上記の功績により,艦長ドナ=シュローデンはプール・ル・メリット(ブルーマックス)勲章を受勲,部下の士官も全員が二級鉄十字章を受けた.
ウィルヘルムスハーフェンで再度の整備,改装の後,1916年秋深まった11月に再度戦闘準備が整い,11月23日再び大西洋に出撃,
今度は翌1917年3月の帰還までに,軍馬1,200頭を輸送していた「ジョージア」など,合計で25隻,123,265GTを葬った.
しかしながら,そのうちの石炭船セント・セオドアは捕獲され,後に仮装巡洋艦「ガイエル」となってドイツ軍に就役した.
1917年春以降は潜水艦母艦「オストゼー」に艦種変更され,無事大戦を乗り切ることにも成功した.
戦後は戦時賠償としてイギリスに引き渡され,貨物船「グリーンブライヤー」としてすごすが,その後ドイツの会社が1933年に再買収,オルデンブルグの名前で就役した.
第二次大戦中も徴用はされず,ドイツと占領下ノルウェーの間を往復する日々が続いたが,戦争終結の年1945年の4月7日に,ノルウェー沖で英空軍のボーファイター雷撃機の襲撃を受けて沈没.
終戦まであと一ヶ月の出来事であった.
写真は
1枚目 メーヴェ
2枚目 ニコラウス・ツ・ドーナ=ショローディエン
3枚目 メーヴェに攻撃されたフランス船マロニ
参考:”The Kaiser's Pirates-German surface raiders in World War One" John Walter Arms&Armor Press
ゆずこせう in mixi,2012年07月02日10:09
【質問】
第一次大戦における「海上封鎖」の様相は?
【回答】
ところで,海上封鎖とは何か.
これは,1856年4月16日の「海上法の要義を確定する宣言(パリ宣言)」並びに,1909年2月26日の「海戦に関するロンドン宣言」で国際法上適法と見做された戦時措置です.
ロンドン宣言では,封鎖の手順は,先ず封鎖の告知を行った上で,国家が敵国の港湾等に対し海上兵力を以て封鎖線を設定し,海上からの敵の交通を遮断する所から始まります.
「封鎖」を宣言した国は,この封鎖線を越える船舶や貨物は,如何なる国籍のものでも捕獲出来ます.
貨物は戦時禁制品,条件付禁制品,自由品の3つに分けられ,第24条では条件付禁制品を規定しており,その中には食糧,獣類の飼料用に適する秣及び穀類,軍用に適する衣服,被服用織物及び靴類等々と具体的な品物を挙げています.
「食糧」は条件付禁制品の第1項に記載されていましたが,1914年8月20日,10月22日の勅令で英国は,ロンドン宣言のリストを否認し,ドイツの輸入品の殆ど総ての物品を戦時禁制品に指定し,食糧も軍隊以外に用いられる場合でも総て,1915年1月に戦時禁制品リストに,自由品となっていた肥料も禁制品に加えられました.
これにより,英国は1913年当時,ドイツの最大の穀物貿易輸入相手国だった米国やカナダの食糧輸入船を,総て拿捕出来る権限を手にした訳です.
表向きは,「ドイツによる中立国商船を偽装した機雷敷設に対する復仇措置」でしたが,実際には建艦競争を経ても尚優越する海軍力を有し,海上通商ルートを支配している事により,直接の戦闘を避け,遠隔操作で敵国の弱体化を図るというものでした.
当時,ドイツの商船は,蒸気船2,090隻,帆船298隻であり,総トン数550万トン程度です.
しかし7月28日以降,623隻のドイツ商船が中立国の港に逃避し,英国,フランス,ロシアの港で接収された船は全体の36%に当たる200万トンを超えました.
その上,8月前半だけで更に70万トンの商船が連合国側に拿捕されています.
ところが,早期決着を夢想していた軍部はこの問題に殆ど関心を払いませんでした.
1915年2月4日,その英国の措置に対して,ドイツ側が対抗します.
英国海峡及びその諸島を含む全水域を,ドイツの交戦区域とし,この水域で発見される的船舶は総て攻撃すると宣言し,2月18日に無警告撃沈が開始されます.
これに対し,英国も3月11日には敵国向け輸出品の没収を宣言し,総てのドイツの港を封鎖しています.
そんな訳で,幾ら中立国の船舶であっても,危険を冒して海上輸送が出来なくなりました.
5月7日には,有名なルシタニア号事件が起こります.
これにより,128名の米国人を含む1,198名が溺死しましたが,ドイツ側はルシタニア号が多くの武器弾薬を搭載していたと非難しました.
実際にこの船は,420万トンの弾薬と5,000丁の散弾銃が積まれていたと言います.
しかし,米国の反独世論は一気に拡大し,1917年4月6日の米国対独宣戦布告の引金となりました.
この無制限潜水艦作戦は,軍部や政治家のパフォーマンスではありません.
勿論,軍部や政治家は民衆の支持を得ると考え,実際に民衆もこの作戦が食糧不足の突破口を開くと考えたのです.
そもそも,ドイツ側の楽観的見通しは,彼らに「シュリーフェン作戦」が存在していた為です.
これは二正面作戦を避けるべく,ロシアは動員に時間が掛るので,まずは西部戦線に集中し,フランスを降伏させた後,ロシアと戦争を行うと言うものでした.
フランスへの迅速な攻撃の主体は,最右翼に配置した軍団で,これが中立国ベルギーを侵してフランドルを通り,それを通り抜けた後にパリの背後を突くと言う戦術でした.
勿論,フランス側にもこれに対抗する「第17計画」と言うものがありましたが,これはフランス軍の敵に向かって驀地に突き進むと言う,「生の跳躍」をそのまま置き換えた様なものであり,既に漏れていたシュリーフェン計画は一顧だにされませんでした.
こうして,8月の間,ドイツ軍はベルギー軍の激しい抵抗にも関わらず快進撃を続け,パリ近郊まで迫り,フランス政府はパリ市民の失望の中で,ボルドーに疎開し,パリは防衛軍指揮官のガリエニにより,市街戦の準備を進めていました.
ところが,9月6~10日のマルヌの戦いで,英国軍の援助を得た連合軍が,ドイツ軍を押し返すことに成功します.
これは,ロシア軍の動員が予想以上に迅速だった為に,2個軍団を東部戦線に回さねばならなくなったことや,右翼の軍団の侵攻が早すぎて補給がついて行けなかったこと,そして何よりもベルギーが屈服せず,背後にある英国までも敵に回さなくならねばならなくなった為であり,フランスは危機的状況を脱したのです.
結果として,戦争は一時的なもので,平和な生活は一端中断し,その間に決着を付けると言う19世紀的な戦争から,塹壕戦が西部戦線の中心的戦闘形態となり,これには膨大な資源を必要としていきます.
この為,ドイツは当初の楽観主義を捨て,戦時体制の構築に取り組まねばならなくなったのです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/06/20 23:29
青文字:加筆改修部分
【質問】
第一次大戦におけるUボート作戦は,賢明な選択だったのか?
【回答】
非合理的で向こう見ず,加えて非現実的であった,とDominic
Lievenは述べる.
以下引用.
その決定は非合理的で向こう見ず,加えて非現実的であった.
さらに,第一次大戦へのアメリカの介入と直結した政治的,外交的,軍事的,経済的,心理的要素のバランスを正しく取ったものでもなかった.
ドイツ潜水艦戦の勝利の可能性すら現実的に計算されていなかった.
このようになってしまったのは,ドイツの支配的エリートの利益やその思考様式,意思決定において軍部が突出していたからだが,それ以外にも,政策を調整したり,目的と手段の調和を図ったり,相対立する政治的・軍事的・外交的な優先順位と圧力のバランスをとったりする個人や機関がドイツに欠けていたためである.
Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)上巻,p.142-143
【質問】
WW1におけるUボートの建造ペースを教えられたし.
【回答】
戦前段階でU1~U45(欠U42)が発注済.
1914年は
8月 ×12(UA,U46~U56)
10月 ×11(U57~U62,U66~U70)
11月 ×32(UB1~UB17,UC1~UC15)
1915年は
1月 ×4 (U71~U74)
3月 ×6 (U75~U80)
4月 ×12(UB18~UB29)
5月 ×3 (U63~U65)
6月 ×12(U81~U92)
7月 ×18(UB30~UB47)
8月 ×18(UC16~UC33)
9月 ×12(U93~U104)
11月 ×15(UC34~UC48)
1916年は
1月 ×31(UC49~UC79)
5月 ×56(U105~U114,U117~U138,UB48~UB71,UC49~UC79)
8月 ×3 (U139~U141)
9月 ×18(U115~U116,UB72~UB87)
11月 ×9 (U142~U150)
1917年は
2月 ×58(U151~U163,UB88~UB132)
6月 ×113(U164~U200,UB133~UB169,UC80~UC118)
12月 ×102(U201~U212,UB170~UB205,UC119~UC152,UF1~UF20)
1918年は
1月 ×220(U213~U276,UB206~UB249,UC153~UC192,UF21~UF92)
と,順に発注されていきました.
そして,戦前既に就役していた28隻と合わせて374隻が完成し,203隻が海の藻屑と消えたのでした・・・
出典は「The U-boat Offencive 1914-1945」
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW1のドイツUボートの戦果は?
【回答】
以下,独英公式記録比較から.
独 英
1914年 8月 0 0
9月 0 0
10月 866t
866t
11月 2084t
2084t
12月 0 0
1915年 1月 1万7577t 1万7126t
2月 2万2785t 2万2784t
3月 8万9517t 7万2441t
4月 4万1488t 3万8614t
5月 12万6895t 10万6293t
6月 11万5291t 11万8091t
7月 9万8005t 10万5145t
8月 18万2772t 18万1691t
9月 13万6048t 15万1271t
10月 8万6064t 8万8145t
11月 16万7523t 15万3277t
12月 10万7739t 12万1951t
1916年 1月 4万9610t 6万4451t
2月 9万5090t 10万7857t
3月 16万0536t 16万9863t
4月 18万7307t 19万1872t
5月 11万9381t 12万2592t
6月 9万3193t 11万1719t
7月 11万0728t 11万0084t
8月 16万3145t 15万8405t
9月 23万1573t 22万4876t
10月 34万1363t 35万1764t
11月 32万6689t 32万6003t
12月 30万7847t 29万1636t
1917年 1月 32万8391t 33万1466t
2月 52万0412t 49万7095t
3月 56万4497t 55万3189t
4月 86万0334t 86万7834t
5月 61万6316t 58万9603t
6月 69万6725t 67万4458t
7月 55万5514t 54万5021t
8月 47万2372t 50万9142t
9月 35万3602t 33万8242t
10月 46万6542t 44万8923t
11月 30万2599t 28万9095t
12月 41万1766t 38万2060t
1918年 1月 29万5630t 30万2088t
2月 33万5202t 31万8174t
3月 36万8746t 24万4814t
4月 30万0069t 27万3355t
5月 29万6558t 29万4019t
6月 26万8505t 25万2637t
7月 28万0820t 25万9901t
8月 31万0180t 27万8876t
9月 17万1972t 18万6600t
10月 11万6237t 11万2427t
11月 1万0233t 2万6857t
トータルでドイツの記録では1228万4757t,
イギリスの記録では1196万4185t,
英独の記録を比較して,誤差の小ささは驚嘆に値しますね.
ちなみに隻数では,イギリスに5282隻の数字が残ってます.
出典は「The U-boat Offencive 1914-1945」
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
それぞれのUボートが挙げた戦果を教えられたし.
【回答】
1914年については,U17が1隻866t,U21が2隻2084tを葬ったのみ.
1915 1916
1917 1918
U6 13隻 4654t
U8 5隻 1万5049t
U9 13隻 8636t
U10 7隻 1625t
U12 1隻 3738t
U16 10隻 1万1476t
U17 11隻 1万5769t
U19 25隻 9464t 7隻 2万0959t 14隻 3万4393t
U20 25隻 11万1170t 11隻 3万2510t
U21 4隻 9219t 10隻 1万6253t 20隻 5万1156t
U22 7隻 1万5678t 9隻
8669t 7隻 1万7892t 20隻
4448t
U23 7隻 8822t
U24 25隻 7万4044t 2隻
384t 6隻 3万1304t
U25 21隻 1万4126t
U26 2隻 2849t
U27 9隻 2万9402t
U28 18隻 4万3760t 5隻 1万4299t 16隻 3万5723t
U29 4隻 1万2934t
U30 9隻 2万2005t 2隻
2913t 15隻 2万2465t
U32 1隻 2247t 16隻 4万4268t 18隻 5万3573t 2隻
5652t
U33 40隻 12万1246t 1隻
5350t 26隻 4万6427t 17隻 5万6575t
U34 19隻 5万6530t 54隻 10万2918t 35隻 5万8789t 13隻 4万4649t
U35 35隻 8万9192t 122隻 26万6643t 62隻 17万0672t 5隻 1万3234t
U36 14隻 1万2688t
U37 2隻 2811t
U38 68隻 15万0912t 53隻 11万3974t 13隻 2万4107t 3隻 1万0992t
U39 44隻 10万2476t 64隻 16万9767t 42隻 12万1447t 4隻 1万0788t
1915 1916
1917 1918
U41 28隻 5万8949t
U43 13隻 2万8530t 28隻 7万9314t 3隻
8746t
U44 8隻 2万6683t 13隻 4万2649t
U45 4隻
6790t 20隻 3万8832t
U46 17隻 3万3812t 25隻 7万5197t 13隻 4万1390t
U47 7隻 1万4579t 7隻
9496t
U48 4隻 1万0622t 30隻 9万2930t
U49 17隻 3万5288t 21隻 5万1145t
U50 9隻 2万5308t 17隻 6万7456t
U52 4隻
5766t 24隻 6万5459t 2隻
650t
U53 6隻 2万3264t 60隻 15万6161t 24隻 3万6344t
U54
21隻 6万2182t 8隻 2万8745t
U55 3隻
9605t 33隻 5万1082t 29隻 8万4326t
U56 4隻
5374t
U57 23隻 1万5167t 32隻 7万6513t 3隻 2万3512t
U58 3隻
1576t 18隻 2万9325t
U59 2隻
422t 11隻 1万8341t
U60
38隻 8万0357t 16隻 3万3801t
U61
29隻 6万8135t 7隻 2万2635t
U62
39隻 9万5903t 8隻 3万3163t
U63 18隻 4万7302t 40隻 9万6552t 16隻 6万7011t
U64 4隻
9635t 35隻 9万4109t 6隻 2万8422t
U65 1隻
9223t 40隻 5万8851t 11隻 2万6585t
U66 12隻 2万4862t 12隻 4万4154t
U67 3隻
8988t 14隻 3万0705t 2隻
9276t
U69 14隻 3万8288t 16隻 6万6183t
U70 15隻 3万0280t 37隻 10万4951t 2隻 1万3458t
U71 8隻
6585t 8隻 4948t 1隻
120t
U72 8隻 1万9765t 10隻 1万8806t
U73 10隻 7万6157t 5隻
4534t 1隻 3030t
U74 1隻
2802t
U75 5隻
5035t 4隻 8583t
U76 1隻
1146t
U78 4隻
8297t 12隻 1万8381t
U79 5隻
9560t 16隻 2万4171t
U80 3隻
5563t 16隻 3万9349t 7隻
5036t
U81 2隻
2578t 29隻 8万6427t
U82 5隻
1957t 21隻 6万6507t 9隻 4万0166t
U83 1隻
123t 4隻 6163t
U84
25隻 7万6989t 2隻 5万5957t
U85
5隻 2万3127t
U86
13隻 4万6535t 20隻 7万9045t
U87
21隻 5万9170t
U88
13隻 3万9583t
U89
4隻 8496t 2隻
6885t
U90
10隻 1万0354t 25隻 9万4155t
U91
1隻 2274t 39隻 9万3976t
U92
8隻 1万9790t
U93
27隻 7万2756t 3隻
6068t
U94
15隻 3万9876t 5隻 1万7769t
U95
12隻 3万0338t 2隻
7592t
U96
21隻 7万0614t 11隻 3万0918t
U97
2隻 421t 2隻
4985t
U98
3隻
9120t
U100
5隻 1万3901t 7隻 4万2307t
U101
4隻
7886t 24隻 5万2821t
U102
2隻
7605t 3隻 5640t
U103
3隻
7001t 5隻 1万5248t
U104
4隻
8145t 8隻 2万8567t
U105
8隻 2万9553t 12隻 2万6131t
1915 1916
1917 1918
U107
6隻 2万4576t
U108
2隻 8445t
U110
2隻
5105t 6隻 2万7036t
U111
3隻 3011t
U113
4隻 6734t
U117
24隻 4万6898t
U118
2隻 1万0439t
U122
1隻 278t
U139
6隻 7208t
U140
7隻 3万0888t
U151
12隻 2万9048t 39隻 10万9236t
U152
20隻 3万7726t
U153
4隻 1万2780t
U154
4隻 8158t
U155
19隻 5万3306t 47隻 13万4795t
U156
4隻
7353t 52隻 5万6442t
U157
1隻
302t 13隻 1万0463t
UB2 10隻 706t 1隻
672t
UB4 3隻 1万0883t
UB5 5隻 996t
UB6 7隻 3922t 9隻
3085t
UB7 1隻 6011t
UB8 1隻 1万9380t
UB10 27隻 1万3379t 2隻
2825t 7隻 6379t
UB12 9隻 424t 6隻
5313t 6隻 4405t
UB13 4隻 2170t 6隻
1593t
UB14 3隻 1万3467t
1隻 155t
UB16 11隻 9504t 11隻
8275t 1隻 107t 2隻
939t
UB17 6隻 545t 6隻
1689t 1隻 40t
1915 1916
1917 1918
UB18 88隻 8万9342t 38隻 3万9213t
UB19 11隻 1万1558t
UB20 4隻
1531t 9隻 8383t
UB21 7隻
2491t 18隻 2万3841t 9隻 1万3593t
UB22 7隻
4570t 20隻 1万2076t
UB23 41隻 2万1482t 10隻 1万2840t
UB27 10隻
6438t 2隻 1万0228t
UB29 29隻 3万9378t
UB30 6隻
964t 4隻 4269t 12隻 3万1044t
UB31
22隻 6万6221t 7隻 1万8129t
UB32
22隻 4万2889t
UB33 15隻 1万4152t
UB34 9隻
5494t 10隻 2万0412t 15隻 2万2822t
UB35 8隻
5826t 31隻 2万8192t 5隻 1万3198t
UB36 3隻
1152t 8隻 5100t
UB37 26隻 1万4744t 4隻
5756t
UB38 21隻 1万6799t 21隻 2万6973t 7隻 1万0219t
UB39 60隻 6万6599t 33隻 2万3211t
UB40 12隻 1万5355t 56隻 8万9654t 35隻 2万8349t
UB41
8隻 8387t
UB42 2隻
881t 7隻 1万0470t 2隻
6206t
UB43 13隻 6万3239t 9隻 3万5963t
UB44 1隻
3409t
UB45 3隻 1万1666t
UB46 4隻
8099t
UB47 12隻 4万2949t 8隻 3万2885t
UB48
16隻 5万1922t 20隻 5万7351t
1915 1916
1917 1918
UB49
14隻 4万1546t 30隻 5万6154t
UB50
19隻 3万6139t 22隻 7万3053t
UB51
5隻 2万6661t 15隻 2万6867t
UB52
14隻 4万2637t
UB53
2隻 3119t 18隻 4万8065t
UB54
6隻 6638t 10隻
3244t
UB55
7隻 5192t 13隻 1万9986t
UB56
4隻 5407t
UB57
17隻 4万3651t 36隻 10万9499t
UB58
6隻 7983t 2隻
208t
UB59
1隻 2309t 6隻
8669t
UB61
2隻 1万2920t
UB62
5隻 1万2187t 3隻 1万0065t
UB63
2隻 4481t 4隻 1万3660t
UB64
1隻 1712t 29隻 3万8488t
UB65
3隻 4275t 6隻 1万8186t
UB66
1隻
200t
UB67
1隻 1万3936t
UB68
7隻 1万6993t
UB70
6隻 2万3736t
UB72
6隻 1万2578t
UB73
10隻 2万2259t
UB74
10隻 1万9530t
UB75
5隻 9529t
UB77
2隻 1万5448t
UB78
3隻
1511t
1915 1916
1917 1918
UB80
3隻 9942t 16隻 3万1329t
UB81
1隻 3218t
UB82
1隻
1920t
UB83
2隻
1770t
UB86
7隻 1万3351t
UB87
7隻 3万4380t
UB88
13隻 3万2333t
UB90
1隻
1420t
UB91
5隻 1万6468t
UB92
7隻 1万6459t
UB94
2隻
3261t
UB95
2隻
5282t
UB103
15隻 2万8746t
UB104
7隻 1万4442t
UB105
25隻 6万9641t
UB107
12隻 2万8740t
UB108
2隻
2655t
UB109
5隻 1万3610t
UB110
4隻
7686t
UB111
8隻
1571t
UB112
9隻
9238t
UB113
2隻
1836t
UB115
1隻
336t
UB117
6隻 1万1586t
UB118
5隻 2万3967t
UB119
1隻
2100t
UB120
2隻
7219t
UB122
1隻
3150t
1915 1916
1917 1918
UB123
5隻
4490t
UB125
6隻 1万0967t
UB126
2隻
3078t
UB128
1隻
7418t
UB129
1隻
9219t
UC1 11隻 1万0028t 25隻 4万0339t 2隻
8721t
UC3 15隻 1万7669t 4隻 1万0597t
UC4
9隻 1万1432t 14隻 1万2844t 5隻
2859t
UC5 19隻 2万1915t 10隻 1万4373t
UC6 20隻 1万6197t 32隻 4万5672t 2隻
2175t
UC7 13隻 2万0819t 16隻 2万4451t
UC10 1隻 2229t 14隻 2万7849t
UC11 3隻 3457t 10隻 1万5811t 11隻 1万3677t 5隻
5611t
UC12 5隻
3039t
UC13 3隻 387t
UC14 1隻 2952t 7隻
4918t 6隻 1097t
UC15 1隻
3905t
UC16 21隻 2万0277t 21隻 2万2799t
UC17 25隻 1万4128t 58隻 10万5659t 11隻 2万4083t
UC18 19隻 1万8094t 15隻 1万5522t
UC19 1隻
275t 2隻 3080t
UC20 2隻
1353t 16隻 8797t 6隻 1万9964t
UC21 22隻 2万2599t 73隻 10万6903t
UC22 6隻 1万8420t 9隻
5966t 9隻 2万8317t
UC23 2隻 1万4598t 33隻
8167t 31隻 1万7409t
UC24
4隻 9816t
UC25
10隻 2792t 7隻 2万4941t
UC26 22隻 3万8348t 13隻 1万7884t
UC27
43隻 3万1078t 10隻 3万6912t
1915 1916
1917 1918
UC29
17隻 2万0765t
UC30 1隻
628t 8隻 5239t
UC31 1隻
200t 33隻 3万8091t 3隻 1万5336t
UC32 2隻
2198t 4隻 4649t
UC33
35隻 2万0557t
UC34 2隻
460t 11隻 4万0306t 6隻 2万4780t
UC35
34隻 5万6482t 8隻
9087t
UC36
18隻 2万8348t
UC37
31隻 5万6543t 35隻 2万1615t
UC38
36隻 5万2525t
UC39
3隻 5249t
UC40
18隻 2万1617t 14隻 2万5317t
UC41
18隻 1万8233t
UC42
13隻 9635t
UC43
13隻 2万4727t
UC44
27隻 2万4271t
UC45
12隻 1万6809t
UC46 5隻
4273t 5隻 6387t
UC47
52隻 6万5884t
UC48
34隻 6万7776t
UC49
13隻 3万4859t 10隻 2万8336t
UC50
26隻 4万2212t 3隻
3610t
UC51
29隻 3万4394t
UC52
5隻 101t 15隻 2万7570t
UC53
28隻 2万5584t 25隻 3万8438t
UC54
3隻 3453t 16隻 6万5906t
UC55
9隻 1万2988t
UC56
2隻
9824t
UC57
1隻 88t
UC58
14隻 3927t 6隻 1万6808t
UC59
8隻
8331t
UC60
1隻 1426t
1915 1916
1917 1918
UC61
11隻 1万3819t
UC62
12隻 2万0035t
UC63
36隻 3万6404t
UC64
15隻 1万5555t 12隻
9483t
UC65
103隻 11万2859t
UC66
33隻 4万7152t
UC67
29隻 6万0667t 24隻 3万7651t
UC69
50隻 8万8138t
UC70
24隻 1万2347t 9隻 1万4576t
UC71
49隻 8万3272t 20隻 6万0653t
UC72
37隻 6万4323t
UC73
6隻 1万1701t 12隻 1万4719t
UC74
27隻 7万1807t 10隻 2万5092t
UC75
39隻 5万0114t 17隻 3万8959t
UC76
14隻 6006t
UC77
28隻 3万7574t 4隻 1万1488t
UC78
2隻 1万3000t
UC79
7隻 1万5880t 3隻
6467t
出典は「The U-boat Offencive 1914-1945」
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
ルシタニア号事件は,アメリカの第一次大戦参戦に,どの程度影響を与えたのか?
【回答】
ポール・ジョンソンによれば,アメリカ人の対ドイツ観を壊滅的に悪化させたものの,直接の引き金ではないという.
ウィルソン大統領は,「このような残虐行為は二度としない」というドイツの保証を得ただけで満足し,1916年の選挙では中立主義を掲げて臨んだ.
しかし1917年2月から3月にかけ,何隻ものアメリカ船がUボートに沈められたことと,報道機関によるツィンマーマン電報(ドイツとメキシコが同盟を組み,アメリカを攻撃しようと提案する内容)の暴露があったため,ウィルソン大統領は宣戦布告に踏み切ったという.
詳しくはポール・ジョンソン著『アメリカ人の歴史』第3巻(共同通信社,2002.7),p.35-36を参照されたし.
【質問】
先日,朝日ソノラマのエムデンの戦いを入手したんですが,他にもWW1の通商破壊艦に関する書籍で,お勧めとかないですか?
できれば当事者による回顧録みたいのが嬉しいです.
【回答】
回顧録ではないけど公刊戦史かな.
独国海軍軍令部編纂『外国海洋に於ける巡洋艦通商破壊戦史 第二巻
軽巡洋艦通商破壊戦史』(訳)(海軍軍令部 1924年)
編纂者序言 海軍少将 エーリッヒ・レーダー
第一編 軽巡洋艦エムデン
第二編 軽巡洋艦ケーニヒスベルグ
第三編 軽巡洋艦カールスルーエ
第四編 軽巡洋艦ガイエル
軍事板,2009/09/06(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
キール軍港の反乱(1918.10.24)のきっかけとなった,勝ち目のない艦隊出撃命令はなぜ出たの?
【回答】
国家そのものよりも海軍の面子を優先したものと言えるかと思います.
当時,休戦交渉が首相バーデン公の元で進められておりましたが,海軍はこの交渉の成否に関わる出撃に関して,政府の作戦計画介入を恐れて何の了解も取り付けておりません.
全く無視して進めております.
当時の政治状況で政府に無断で出撃を行えば,交渉中のバーデン公はどういう立場に置かれるか,ということを鑑み,これを軍部の意に沿わない首相を引きずり下ろす意図もあったと見る歴史家もいるようです.(A・J・P・テイラーの『第一次世界大戦』参照)
また,出撃命令に先立つ10月6日外洋艦隊参謀長トロータは
「艦隊の名誉ある闘いが,この闘いで死を賭けた闘いになるにしても……そこから新しいドイツの未来艦隊が立ち現れるであろう.
恥ずべき平和によって枷をかけられた艦隊に未来はない」
と述べておりますし,命令後の10月25日には海戦指導部戦中日誌に
「これ(艦隊出撃)によって,状況の決定的変化を期待出来ないにしても,やはり精神的視点からすれば,最終戦で艦隊が全力を尽くすのは,海軍の死活=名誉問題である」
と書かれているようです.
散ることによって海軍の面子を保ち,海軍の再生に賭けようという気概は,十分に感じられますが,国家の文字は出てきません.
こうでもしないと海軍将校連の特権的地位を保持出来ないため,との見方もあります.
「休戦協定を少しでも有利にするため,全戦力を持って英海軍と決戦を」
などといった,ほんの少しでも合理的な考えは,確かミヒャエリス大佐の日記にあったと思いますが,
(どーせ休戦になれば艦隊渡しちゃうんだから,その前に稼ごうといった感じ)
当時の記録を調べると上のような精神論が主流で,異端だったっぽいです.
以上,ほとんどは山田義顕氏の論文,軍事史学第22巻2号『第一次大戦後のドイツ海軍将校』からでした.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第一次世界大戦のドイツの戦艦とかは敗戦でどうなったのでしょうか?
やっぱり戦勝国に戦利品として分捕られたのでしょうか?
【回答】
弩級艦,超弩級艦,巡洋戦艦に限って言えば….
Nassau → 1920.4.7日本に引渡し,オランダで解体.
Westfalen → 1920.8.5 英国に引渡し,調査の上,同国で解体.
Rheinland → 座礁のため,賠償艦になったものの他国に引き渡されず,解体.
Posen → 1920.5.13 英国に引渡し,オランダで解体.
Helgoland→ 1920.8.5 英国に引渡し,調査の上,同国で解体.
Ostflrisland → 1920.4.7 米国に引渡し,Mitchellの指揮する爆撃機の実艦的となる.115kg~1t爆弾13発命中もびくともせず,翌日500kg爆弾3発命中でも前後が沈んだだけ,翌々日に1t爆弾6発の至近弾で沈没.
Thuringen → 1920.4.29 フランスに引渡し,標的艦となった後,同国で解体.
Ordenburg → 1920.5.13 日本に引渡し,オランダで解体.
Kaiser級4隻 → 全艦自沈,1933~36年解体.
Konig級4隻 → 全艦自沈,1936~62年頃解体.
Bayern級4隻 → 全艦自沈,1921~35年解体.但し,Badenは浅かったので浮揚し,英国の実艦的.
VonderTann → 自沈,1934年解体.
Moltke → 自沈,1929年解体.
Goeben → 1914.8.16除籍後,Turkeyに引渡し.
Seydlitz → 自沈,1930年解体.
Derflinger,Hindenburg → 自沈,1932~36年解体.
眠い人◆gQikaJHtf2
ちなみに駆逐艦は各国に分配され,中には第2次大戦でドイツ軍と交戦した艦も.
詳しくは「第2次大戦駆逐艦総覧」(ホイットレー著,大日本絵画,2000.2)を参照されたし.
イタリアに渡って海防艦となった装甲巡洋艦もある.
消印所沢
【質問】
1960年代に西ドイツが,トルコの保有していた巡洋戦艦ヤウズを買い取ろうと持ちかけて断られたり,逆に断ったりしてますが,旧式も良いところの巡洋戦艦を今更手に入れようとした理由,そして結局買い取らなかった理由は何でしょうか?
【回答】
最初に申し込みがあった1963年の西ドイツは,アデナウアーが首相の時代で,右派のCDU(キリスト教民主同盟)とCSU(キリスト教社会同盟およびFDP(自由民主党)が保守連立政権を組んでいた.
おそらくは購入して記念艦として活用しようとしたものと思われる.
トルコから売却の申し出のあった1966年には,FDPが離脱し,代わって左派のSPD(社会民主党)が連立に加わっていた.
こうして政権が左派の意向を入れなければならない状態になったために,過去の遺物であるゲーベンの購入計画は立ち消えになったと思われる.
――と,wikiの記事や当時の社会状況からこのような推測ができる.
正しいかどうか,後は自分で裏をとって調べてくれ.
軍事板
青文字:加筆改修部分